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130208








父親が、仏壇の前でお経を唱えていた。

いつもは鈴を鳴らして手を合わせるだけだけど、

今日はひいおじいちゃんの命日なので。

そこに遺骨があるわけではないけれど。

仏壇は、残された人たちが、透明になった人と向き合うための場所なんだと再確認する。


うちの両親は2人とも福岡生まれだ。

お墓なんかはもちろん向こうにあるし、実家の仏壇も向こうにある。

祖父や祖母はみんな他界してしまっていて、お墓に眠っている。

父はたまに帰省してお墓参りをしているようだけど、

私はもう6年くらい帰ってないだろうか。

そろそろ顔見せに行かんとな。


ところで、我が家は仏教徒なのだろうか、とふと考える。

父方は天台宗、母方は日蓮宗だと聞いたことはある。

今までの葬式は、その系統のしきたりに倣ってやってきたはずだし、

法事もその宗派のお寺さんに頼んで、お経を唱えにきてもらってた。


ここまで書けば、仏教なんじゃない?と思うだろうけど、

親の世代と、私たち世代の間にはかなりの格差があると思う。

祖母は毎朝必ず、仏壇に向かって手を合わせてお経を唱えていたから、

多分それを聞いていたり、一緒にやっていた父親も唱えられる。

けど私の住む家には初め仏壇なんて無かったし、唱えられるはずもない。


これって、世間一般にそうだと思うんだけど、

年々、人々と宗教のつながりって薄れていて(特に先進国では)、

今の若い人たちで信仰している宗教のある人なんて、すごく少ないと思う。

世の中にはキリスト教、仏教、イスラム教以外にも、無数の新興宗教があるし、

中には熱狂的な信者の人もいると思うけど…

私の通っていた高校は、私立の女子校にしては比較的珍しく無宗教だったし、

宗教というものに触れること自体が、帰省したときぐらいのものだった。


福岡に帰れば、まず最初に仏壇の前に家族で正座し、

弟と、マッチをどちらが擦るかで一悶着起こし、

「仏さんの前でケンカするんじゃない!」と怒られ、

線香を立て、鈴を鳴らし、お祈りし、目を開けると、

またろうそくの火をどちらが消すかで一悶着起こす。

この一連の儀式はいつのまにか身に付いていたし、当たり前にやっていた。

(「マッチを擦る」という子供心をくすぐるアクションが、

 その習得に拍車をかけていたことは言うまでもないが。)


子供の頃は、これらを仏教の儀式として意識したことは無かったし、

日本、もしくは田舎の伝統的な何かなんだろう、くらいに感じていたのだと思う。

伝統と宗教には、これまた密接な関係があるし、間違いじゃないんだけど、

子供の頭にはそもそも、宗教なんて概念がない。

そんな子供たちにとって、これはあまりにもスムーズな導入だと思う。



私はお寺が好きだ。

お寺と言えば、そう、いわゆる仏教の宗教施設であることに間違いない。

だけど、私はお寺を、仏教に関係しているという理由で好きな訳ではない。

木造で、古くて、大きくて。

屋根の絶妙な曲線とか、門の絶対的な存在感とか。

挙げ出せばキリがない。旅先にお寺があれば必ず訪れる。


以前、京都の知恩院の御影堂の中で、なにかのリハーサルが始まって、

すごい数のお坊さん達が一気に集まってきた。

木魚の音とお経を読む声が御堂に響き渡って、

私はそれが結構心地よくて、後ろの方の壁にもたれかかってしばし寝ていた。(ごめんなさい)

でも、お経は私にとっては、言葉は悪いかもしれないけどBGMくらいの感覚でしかなくて、

まだそこに意味を見いだしたことは一度もない。


私はまだほとんど海外に行ったことがないので、説得力がないかもしれないけど、

キリスト教の教会も大好き。パイプオルガンも大好き。

イタリアに行ったとき、各地のドゥオモにはほんとに心奪われた。

どれだけの大理石を費やしたんだろう、という畏敬の念と共に、

昔はそれだけの信仰心をみんな持ってたんだな、と思う。

最近はイスラムのモスクもすごく見てみたくて、

エスファハーンのイマーム広場とか行ってみたい。青が綺麗。幾何学的な模様も。


ちょっと話が逸れたけど、要するに、

まだ生活が苦しかった時代の宗教って、絶大な力を持っていて、

それに望みを託した人々のお金も血も涙も注ぎ込まれた賜物が、宗教施設となって残ってる。

神様仏様とか、そういうものに希望を抱かずにはいられない時代。

本気で祈って、本気で身も心も預けていた時代。

そういう人々の強い思いが詰まった建物だから、

今でも果てしない力を持ってるし、偉大で代え難い。

神様仏様というよりも、その時代に暮らしていた人々に思いを馳せながら、

その時代の賜物にお邪魔させてもらってる。


だから、なんだろう、

今の時代にははっきり言って、神様とか、いてもいなくてもあんまり困らないというか、

普段からそんなに意識する機会がない世界。

そんなこと言っておきながら、ピンチのときには「神様!」と神頼みするし、

今年だって遅ればせながら初詣行ったし、都合いいんだけどさ。


でも、「神様!」と祈るとき、目をつぶって、何を思い浮かべますか?

私は、具体的に思い浮かべるものなんてないので、

いつも目を閉じて、真っ暗な自分の頭の中で言葉を念じます。

こうしたい、こうなりますように、こうできますように、って。

それってつまり、自分に言い聞かせてるんだな、って。

そして、そういうときに思い浮かべる人って、本当に大切な人たちだったりする。

ほんの少しかもしれないけど、自分と向き合うという時間を与えてくれている点で、

いまだにそれが「建物である」という以上の意味を持っている場所なのだなぁと思う。

お経は唱えられないし、宗派とかもなんかよく分かんないし、

誰が祀られてるとかもそんなに気にしてないんだけど、

自分の子供にも、この感覚くらいは伝わって行くのかな。

時代は変わり、意味も変わったと思うけど。



急に思い立って書き出したものの、落としどころがよく分からず迷走。



半年くらい放置していたものを片付け始めてすっきり。あともうちょい。

悩むのはやっぱりあんま性に合わないな、と思い始めたとたん、少し動いた。

石はひとつに絞らなくてもいい、大事に置いて行こう。

posted by kaede | diary | comments(0)
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130206

波長が合う、ということについて考えてる。


最近、高校の友人と大学院の友人をはじめましてさせることが何度かあった。

カラオケの場だったり、街歩きだったり、飲みの席だったり、いろいろだけど。

自分でも、「このメンバーなら大丈夫かな」くらいは一応考えるけど、

まぁ実際会ってみなきゃわからない。


なにかしら共通点がある人を会わせてみたいのは、

その本人同士になにかミラクルが起こるかもしれない、という期待と、

さらに自分もそのミラクルに巻き込まれて楽しくなっちゃうかもしれない、

という自分勝手な期待も含まれている。


高校の友人と、大学の友人と、職場の友人となんていう引き出しは、

そもそも周りにとってはどうでもよいものなんだけど、

ちょっとそこらへん取っ払ってみようかしら、という気分になっている。

今までは完全に別々の部屋だったのが、

グランドに白線でマル描いて分けたくらいになってる。

伝わりづらい


facebookは、知り合い予備軍を探すのにはうってつけだ。

最近、友人の弟さんと私の間に、共通の知り合いが数人いることが分かったり、

昔ピアノを一緒に習ってた友人が、アメリカで大学の後輩と出会ってることが分かったり。

そういうのが視覚化されてしまうfacebook。

時に都合の悪いことも起こりうることは分かるけど、

facebookというツールのおかげで、そういう垣根、

つまり、引き出し意識が薄まってきたのかなぁとも思う。


この年になると、誰もがいくつかの引き出しを持っているわけで、

それがもっとオープンな引き出しになったら、いろいろ面白そうだなぁと。



27歳も半年を過ぎ、28歳でニヤニヤするためには、

27歳後半戦をもうちょい気合い入れていかないとダメだなと感じています。

ここ数日、結構いろいろ悩んでいる。

人のこと考えてる場合じゃないな、もっと自分ちゃんとしなきゃ、とか。

あと3歳若かったらこの道でもいいけど、ちょっともう無理かなとか。

いや、そこはあんま気にしなくてもいいか、とか。


なんにせよ、今の私にはもうちょっと真剣に、

自分のために悩むことが必要な気がしている。



英単語の記憶を掘り返しているが、

浜辺に埋まっている小石を、ひとつひとつ砂をはらって拾い上げるような、

そんな感覚である。

普段はもう、まったく見えてないけど、

手で撫でてみたら、こんなのあったかも、埋めたかも、みたいな。

遠い記憶である。

posted by kaede | - | comments(0)
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130131

TOEICの申し込みをした。

前回受けたのが、卒業前の1月だったので2年経ち、

資格証明の期限が切れてしまったというのもあるんだけど、

やっぱり、何事もただダラダラとやっているだけではダメだと思い。

高校の頃のDUOiTunesに取り込んだりしてみた。


今年はもうひとつ試験を受けようと思っているのですが、

もっと勉学に励まなければダメだなほんと



私は直感を信じて疑わないことが多い。

1つこれ!と決めたらもうそれ一本、みたいに自分でしてしまうところがあって、

それが若干仇となっている感あります今。

これよくない。よくないこれ。よくなくなくなく

じゃなくって、よくない。

そろそろ他にも目を向けよう。

自分の中のバランスもあまりよくないしな。



花とアリスを久しぶりに借りてきた。

もう買っちゃえばいいんじゃないかって思うんだけど、

100円で借りられるので借りちゃうんですよね。はは。


最初、これは高校卒業のときに見た。新宿のちいさな映画館で。

リリイシュシュのすべてや害虫で蒼井優にハマっていた私は、

浪人が決定した身でありながら、のんきに映画を見に行った。

そしてあの日は立ち見だった気がする。

100人入らないような小さなスクリーンの後ろで3人で。

そしてすごく好きになって、何度も見てる。

ハートのエースのトランプの話で、毎回泣いてしまうのだ。

もちろん、蒼井優の、紙コップのバレエシーンもはずせない。


と書いてから、その高校卒業のときの記事を見つけてしまった。

 2004/03/25 花とアリス

なんだかんだで、やっぱり琴線に触れる部分ってあんまり変わらないんだな、

と思って安心したり、複雑だったり。

9年も経ってる。


あの頃は躍起になって邦画ばかり見ていた気がする。

追いかけすぎるんだなぁ。



posted by kaede | diary | comments(0)
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